プロフィール
- 生まれた場所
- 大阪府
- 生まれた日
- 7 月 31 日
- 育ったところ
- 東京都
- 現在棲んでいるところ
- 札幌市
- 家族
- 妻1人、子ども2人
- 資格
- 電話級アマチュア無線技士
- 普通自動車1種免許
- アップル認定ヘルプデスクスペシャリスト
- 利用パソコン
- PowerMac G5 2GHz Dual (4.5GB RAM)
- iMac G4 Flat Panel (768MB RAM)
- PowerBook G4 1GHz (1GB RAM)
- 自作 Pentium 4 マシン (1GB RAM) – Windows XP と Fedora 9 のデュアルブート
大まかな経歴
就職してから、プログラマなど。ただし、会社にいくのが嫌いだったらしく、どこの会社も長続きせず。 1995 年に、当時高円寺にあった W 社(社長1人、社員わたし。その後、社員は増えるが合計で 3 人を超えたことなし)という会社で Apple Computer Inc. の仕事をする。当時の AppleLink のニュースの管理(日本語)や、Apple トレーニングの仕事を行なう。一応、 Apple 認定 Basic トレーナーという資格も持っていました(いまは、そんな制度無し)。ここで仕事をした 3 年ちょっとはとても密度の濃いものであった。
紆余曲折があり 1999 年より、東京にある工業系私立大学の職員に転身。広報業務に携わり、 Web やメールを使った業務を中心に受験産業へ身を投じる。給料は安いがボーナスは人並み以上にもらえたのだけど、入試のシーズンは、スキーのシーズンと重なるため、大好きなスキーができずフラストレーション溜まりまくりな状態。
2003 年 12 月に「俺はスキーをやりたいから、ニセコに行く!」と一念発起。お世話になった大学を退職させていただき、無事にニセコに移住。
ニセコでは、観光協会のお仕事をしつつも、今後の地域のブロードバンド事業(インフラとコンテンツの両方の整備をしないとならない)も手がける。観光協会の方では、いままで作成されていなかったような媒体、飲食店ガイドブックの制作を担当。単純に東京や札幌の制作会社に発注をするのではなく(予算もない)、地域に埋もれた才能を集めて「いいものを作ろう」を合い言葉に、半分以上ボランティアでみなさん手伝ってくれている。感謝!
2004 年の年末に同じく東京から移住してきた現在の妻と出会い、なんと 2005 年の 3 月には結婚。ちなみに入籍したのは 3 月 14 日の 15 時。これは永遠に続く(であろう) π(パイ) の値から日付を決定。そして、 2006 年 1 月には第一子の杏(あん)、 2008 年 3 月には第二子の旦(だん)が誕生しました。
そして、 2008 年 9 月にはニセコから札幌へ転居しました。
続く…と思う
コンピュータとコミュニティのこと
大型汎用機は仕事で使っていたけれども、 1984 年に発表された Macintosh が気になってしょうがなかった。1989 年の春、聖蹟桜ヶ丘にあったキヤノン01ショップにおいて、 Macintosh Plus と 20MByte の 外付け HDD を購入。合計で 50 万円ぐらい。半分は借金。
ちょうどその頃は、仕事では OS-9/68000 なんて OS をいじくり回しているところであった。ただ、情報が少ないということで、OS-9 の販売代理店から「NIFTY-Serve で情報を取ってみてください」と言われた。パソコン通信はよくわからなかったが、とりあえず入会。
Macintosh の情報もたくさんあるということに気が付いたので、個人アカウントも取得。これが 1989 年の 7 月。私の NIFTY-Serve デビューであった。
NIFTY に入ると、 Macintosh のフォーラムに入会。もちろん、趣味のスキーのフォーラムにも入会。この年の 11 月(?)に、「みんなで宴会しませんか?」ということで、四谷の K という中華料理屋さんに集まり、初めてのオフ会。
順調にパソコン通信にハマりまくる。FSKI の SubSysOp になり、その後はフォーラムをいくつかに分割したので、 FSKIJO という「スキー場情報フォーラム」の SysOp になる。この世の終わりはやってこないのだ、といういきおいでパソコン通信を楽しむ。平和な人生はここで捨てたようなものだった。
当時のスキーフォーラムでは、アクティブな会員に Macitnosh ユーザが非常に多かった。ついでに Apple の社員も数名いたのであった。なので、必然的に「ユーザグループ」を作りはじめることになる。FMUG という名前で登録し、ユーザグループの活動をバリバリとやる。だんだんと物欲に走りはじめるやつが増える。という具合。スキーで集まったユーザグループだったので、ミーティングは全国規模で行なわれていた。大阪や東京で30人程度でやっていた。出たばかりの QuickTime(当時は MagicTime だっけ?)を拝見させてもらったり、BeOS を PowerMacintosh 9600 でグリグリ動かして感動したり、たくさん酒を呑んだりの活動は楽しく続いたのでした。
スキーフォーラムのデータライブラリには、 Macintosh のフリーソフトウェア(特にゲーム系)が数多く登録されていたので、 NIFTY の中でも結構ダウンロードだけをしに来る人が多かったのもこの頃。 Aaron なんていう cdev があったのですが、あれを初めて日本で紹介したのも、このフォーラムででした。
Apple から Newton MessagePad を買うと、NIFTY の Mac 系フォーラムの一会議室( FMACPRO だったかなぁ?)に出入りを始める。そこで、 Newton のオフ会をやることに決定。どこでやったんだっけ?よく覚えていないけど、酒を呑みながら、バスケとリチャードの3人で「グループ名は Newton Japan に決定だぁっ!」とクダをまいていたことだけは覚えている。
自分的には Newton は物珍しさだけだったのかもしれない。自分でプログラムを作らないと面白くなかったのかもしれない。なんだか、途中で飽きちゃう。3台も Newton を買ったのに勿体ないよなぁ。
それからというもの、 NIFTY-Serve を中心に、FC-LinkやHeartway、 eWorld、 AppleLink、CompuServeを使いはじめる。当時はテレホーダイもなかったので、電話代が月に5万なんてことはざら。
これも続く…と思う